古事記「天の眞名井宇気比の段」御祭神出生の霊明なる誓約の件により、女人守護、市場の交易、商売繁昌を神勅とし、平安時代から皇室、公家万民の崇敬篤く、御神徳を奉賽したことは史記に多々散見する。
当社のご創建は、桓武天皇の御代延暦十四年(七九五年)に、京都の左右両市場の守護神として、当時の左大臣藤原冬嗣公が両市社領内の堀川の西、七条の北(現在の西本願寺)に坊弐町をかこい、勅を奉じて勧請された社と伝わる。天正十九年(一五九一年)豊臣秀吉の時代、現在の地に移転鎮座されました。
- 多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)
- 市寸嶋比賣命(いちきしまひめのみこと)
- 多岐都比賣命(たぎつひめのみこと)
- 神大市比賣命(かみおおいちひめのみこと)
- 下光比賣命(したてるひめのみこと)
- 御神像二体(花山天皇ご勅作と伝わる)
- 狛犬一体(桃山時代等身大の寄り木造)
- 御神鏡一面(建長二年、後深草天皇ご寄附)
- 天目枕(勅名「天之八塩」)
- 劔鉾一基(天保二年、菊龍鉾)